干宝著「捜神記」より

*「「捜神記(そうしんき)」は四世紀半ば、歴史家でもある干宝(かんぽう)により著された小説。
後世の中国小説にも多大な影響を与えたとされる民間説話の宝庫です。

 晩春の日も西に傾き、家路を急ぐ人々もまばらな道を隴西(甘粛省)に向かう一人の青年があった。
 時代は六朝のころ。洛陽に学んだが銭に窮し、腹をすかして雍州の西八里のところまできたとき、ふと見ると大きな邸宅の前に流れる小川で、召使い風の女が夕食の支度であろうか穀をといでいた。
 青年は事情を訴えて食を乞うたところ、主人に許しを得てくると一旦奥へ入った女が間もなく現れ、邸内へと案内された。
 瀟洒な部屋の窓ごしには花を終わった木々が小さな実を付け、馥郁たる晩春の香気が漂っている。 ほどなく食事の支度が整い、そこへ現れたのは美しい女主人で大層なご馳走でもてなされた。
 食事が終わって女主人が云うには「私は秦の閔王の娘で、曹国に嫁ぎましたが、不幸にも夫に離別され、爾来二十三年、独りでこの家に住んで参りました。訪れる人もなく、今日初めて貴方の訪問を受け戸惑いました、が、せっかくおいで下さったのですからどうか私と夫婦になって下さい」と哀願された。
 青年は、そのような高貴な方と、とことわったが、女に迫られ、ついに三日三晩を過ごしてしまう。
 ところが四日目の朝になると女は悲しげに「もっとあなたとすごしたいのですが、もはやこれ以上お引き止め出来ません、あなたに禍いが降ってくるので・・・」と云い残し「私のまごころをお見せすることができないのが悲しゅうございます」と云って庭先の木の実の一つを心のしるしにと、また旅先の糧にと一袋の粟を渡し、召使いに門まで送らせた。
 さて門を出た青年が、ふと振り返って見ると、そこにはもはや邸宅はなく、背丈ほどに伸びた草原の中にただ一つ、墓が建っているだけであった。
 しかし一袋の粟と木の実は確かに彼の手中にあった。隴西に戻って蒔いたその木の実は、やがて見事な紅白の花を咲かせるようになり、彼はその花の香りにひたすら彼女の面影を求めるがなぜか全く香りがしなかったという。
 話しはこれで終わらない。
 数奇な物語りと珍しい花の話は、ここを訪れる者たちの口伝でやがて皇后の耳に伝わり「もしや西域に嫁がせ、のち夫に別れ、若くして世を去った末娘の再来ではないか」とその花の一枝を所望され、一目見るなり、咲き分けた花姿は、柩に入れてやった娘の着物の絵柄と同一で、この花は娘の化身に違いないと、宮廷の一隅に挿し、追憶の日々を過ごされたという。
 王家は青年を疑うが、墓を検めたところ青年の言すべてに信憑性があり、この青年こそ真の娘婿であるとして馬都尉(天子の予備車につける馬を司る任務。
 通例天子の女婿が選ばれる)の官位が与えられた。

夏目漱石著「草枕」より

 「木瓜は面白い花である。枝は頑固で、かつて曲った事がない。
 そんなら真直かと云ふと、決して真直でもない。
 只真直な短かい枝に真直な短かい枝が、ある角度で衝突して、斜に構へつつ全体が出来上って居る。
 そこへ、紅だか白だか要領を得ぬ花が安閑と咲く。
 柔らかい葉さへちらちらつける。評して見ると木瓜は花の中で愚にして悟ったものであろう。
 世間には拙を守ると云ふ人がある。
 この人が来世に生まれ変わると、きっと、木瓜になる。
 余も木瓜になりたい。」

夏目漱石の句

木瓜咲くや 漱石拙を 守るべく

水原秋桜子の句

木瓜の雨 ほのかに鯉の 朱もうかぶ