権禰宜の雑賀直子です。
先日、冠稲荷神社の宮司が 宮司を兼務する米澤神社に、鎮火祭でお伺いした時の事。
(太田市米沢町鎮座。ですが、神社名じゃ「米澤」と旧字なんです)
風も無い穏やかな一日と天気予報は報じてたんですが、午前中は少し風がありました。これが、現在の米澤神社なんですが。
ちょっと見辛いんですが、建替える前の社殿の写真が、拝殿内に掲げられています。
社殿内にはほかにも、大正時代に撮影された神社の様子なども。
もはや、映っているのが誰のお爺さんだかも定かでないほどの。
そうやって時代が移ろいゆく中で、神事の執り行い方というのは、出来るだけ移ろわない様にする努力がとても大変なのです。
社殿内には、写真のほかにもこんな覚書が。
お供え物(神饌)の並べ方や、物の置き方を、忘れてしまわないように書きつけて、だれが見ても分かるように張ってあるんですね。最近は神前の様子を写真に収めて、それを張ってある神社もあったりします。年に1回か2回しかご神前に携わらなければ、忘れてしまうのも無理は…な・・・・・・
・・・・・・・・・ん・・・・・・?
御獅子を「オヒヒ」って聞いたの誰……。
例えばこの書付の影響で、この村で「獅子」の事を「ヒヒ」と発音する事が定着してしまったとします。そうしたら「獅子」は「ヒヒ」ではなく「シシ」と読むのが正しいのだ、と、は……言えなくなるんだろうな。と。
些細な、本当に些細な事から物事は沢山変化していきます。
時代が変わり、扱う道具や体つきも変われば、変えなければいけない事も沢山あります。
変わらないって、本当に難しい。
太田市内に「只上」という地名があります。「ただかり」と読みます。
太田に来た当初、地元民全員が訛って発音しているのだと思っていましたら、本当に「ただかり」という地名なのだと知って、本当に驚きました。
でも、字と発音と、どっちが先だったんだろう……。(未だに納得しきれていない)