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源義経や新田義貞も参拝した神社です♪

こんにちは。

出仕の朽津由美子です。

強風で境内のモミジが大きく揺れています。昨日は雨天でしたので、じめじめした空気を爽やかにかえてくれる強風も、たまには気持ちが良いですね。

さて、改めまして当社は西暦1125年創建の源氏ゆかりのお社です。来年2025年(令和7年)には節目の900年を迎えることとなります(^^)

この長い歴史の中で、当社には日本史に登場する有名人も参拝しているのでご紹介いたします♪

まず、1人目は…鎌倉幕府誕生の立役者、戦の名人であり、悲劇の武将と呼ばれる、源義経(みなもとのよしつね)です。義経公は1174年、奥州へ下る際に当社が源氏ゆかりの神社であることを知り、冠の中に勧請してきた京都の伏見稲荷大社の御分霊を鎮祭しました。

その後、義経は挙兵した兄、頼朝のもとへ馳せ参じ、兄弟心を一つにして平家打倒を誓いあいました。様々な伝説の残る源義経。昨今ではその足跡をたどる義経ファンも沢山いらっしゃるようですネ♪

※源義経公が斎戒沐浴したとされる御神水が手水舎にも流れております。

つづいて2人目は…新田義貞(にったよしさだ)。義貞は源氏の名門・清和源氏、源義国(みなもとのよしくに)の長男、義重(よししげ)の子孫です。

義貞公は元弘三年(1333)鎌倉幕府討伐の兵を挙げるにあたり、当社神前にて兜の中に神霊の来臨を請い、戦勝を祈願。そして、たった15日で難攻不落と言われた鎌倉幕府を滅亡させたそうです。

日本一の至誠の武将と呼ばれる新田義貞。「太平記」には苦しむ民衆を見て立ち上がり腐敗した幕府を打倒したこと、その戦い方は道義を重んじ忠節を尽くしたこと、戦闘では真っ先にたち部下を大切にしたこと、などが記されているそうです。

※授与所の中心にそびえ立つ金木犀は新田義貞公お手植えと伝えられております。

当社の近くを流れる利根川にかかる刀水橋の名前は、義貞公が鎌倉を攻略して凱旋した際、利根川で刀を洗ったという故事に由来する、とも言われております。