こんにちは。
出仕の朽津由美子です。
本日は冠稲荷神社のご由緒について、ご案内してみたいと思います(^^)
皆さま、当社の境内に古墳が数基あることをご存知でしょうか?東側の聖天宮の下、本殿裏手の稲荷塚山、辰巳のお山など。以前、古墳調査を行ったところ祭祀に使用する道具が出土したそうです。
はるか昔、古墳時代(6世紀)より、この地は霊験あらたかなお祈りの場所でありました。
神社としての創建は平安時代の天治2年(1125年)。新田氏の始祖、源義国公により源氏の館(やかた)の鬼門を鎮護する社として建てられました。※鬼門とは鬼(邪気)が出入りするとされる方角(北東)のこと。
当社が厄除や方位除に大きな力を持つと言われる所以はそのようなご由緒からでもあります(^^)
そして、承安4年(1174年)。かの源義経公は奥州へ下る際、当社が源氏ゆかりの社であることを知り、冠(かんむり)の中に勧請してきた伏見稲荷大社の御分霊を鎮祭したそうです。※伏見稲荷大社は全国各地の稲荷神社の総本社です。
また、時を経て元弘3年(1333年)。新田義貞公は倒幕の挙兵に際し、当社の神前にて兜(かぶと)の中に神霊の来臨を請い、先勝を祈願したと伝わります。
これらの故事にちなみ、いつしか当社は冠稲荷大明神と呼ばれるようになりました。
当社の神様はお稲荷様(ウカノミタマノ神)。稲の神様でウカは食物、ミタマは御霊(魂)のことです。
稲は日本に暮らす私たちにとって特別な食物。日本神話の天孫降臨(てんそんこうりん)では、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が邇々芸命(ニニギノミコト)に神々のおわす高天原の稲を授けて、地上の人々の食物とするよう命じられました。※天孫降臨(てんそんこうりん)とは…ご皇室の御先祖様、邇々芸命(ニニギノミコト)が地上へ天降り、この国を豊かで平和な素晴らしい国へと治められていく様子を語り伝えるものです。
冠稲荷神社は霊験あらたかなお祈りの地に鎮座する、神聖な食物「稲」を司るお稲荷様を祀る社なのであります(^^)