権禰宜の雑賀直子です。
本日は太田市高林南町に鎮座されます高林神社の祈年祭に随行してまいりました。
土曜祝日関係なく、高林神社の祈年祭は2月22日と決まっています。
そして、祭典としては祈年祭なのですが、氏子ほかご関係の皆様にとっては「焼餅会(やきもちかい)」なんですね。「お知らせ」も祈年祭ではなく「焼餅会」で出てるもの…………。
昔々、浅間山が噴火した時に、噴煙で日照不足となり。作物が育たず米も碌に取れず、飢饉になり。出来そこないの小さな米や小麦を粉に挽いて餅として、なりそこないの野菜、漬物から、道端の草でもなんでも食べられる物を餡として入れ、焼いて、食べた。そんな昔語りとともに伝わる「焼餅」。不動様にお供えして食べたら子宝、安産だと伝わる「焼餅」
時代背景としては天明の大飢饉の時の事でして。飢饉は浅間山のせいだけではないのですが、飢饉の理由の真っ先に「浅間山」が登場するのが、この土地ならではの感覚だと思います。
どうか、神様。
今年一年も氏子皆が無事に過ごせます様にお願いいたします。
ちなみに。
「浅間山が噴火した時」を この地域の言葉にすると
「浅間がハネた時」となります。「噴火した」ってあまり聞かない……。