タグ別アーカイブ: 虎渓三笑

群馬県重要文化財へ♪

こんにちは。

出仕の朽津由美子です。

暑さ寒さも彼岸まで…のとおり、お彼岸を境にすっかりらしくなりました♪今年は夏が長く、暑さも厳しかったので、季節がきちんと巡ってホッといたしました(^^) 朝晩は急に冷えるようになりましたので、体調を崩さないよう気をつけましょうネ♪

さて、当社のことで大変恐縮ではございますが、この度、冠稲荷神社群馬県重要文化財に指定されました!既に新聞等でご存知の方もいらっしゃいますでしょうか…?

ご指定いただきましたのは本殿拝殿聖天宮の3棟です。

まずは本殿から…。主祭神としてお祀りしておりますのは、お稲荷様として広く知られる、ウカノミタマノ神です。

本殿の屋根は令和2年に改修工事が行われました。

本殿の3面には極彩色が美しい彫刻が施されております。写真は廬山記(ろざんき)の故事、虎渓三笑(こけいさんしょう)を表したものです。元禄文化の粋を集めた貴重な建造物でもあります。

続いて拝殿です。

拝殿内には県重要文化財指定の最上流算額(さいじょうりゅう さんがく)や江戸期最高峰の書家、親和(しんな)・ 思恭(しきょう)の懸額(けんがく)など、貴重な文化財が多数遺されています。

また、格天井(ごうてんじょう)に描かれた花鳥画・神獣画、源道純の龍の墨絵は迫力満点です!

そして、聖天宮(しょうてんぐう)。国生みの夫婦神、イザナギ神イザナミ神をお祀りし、小高い古墳の上に鎮座しております。

造建は宮中の菊紋を彫った天下一の名工弥勒寺音八(みろくじおとはち)とその父、音次郎(おとじろう)によるものです。

内部の格天井には優麗な12面の花鳥画が描かれ、中央には金龍の彫刻が、また正面欄間には三龍の彫刻が施されております。

当社は平安時代の天治2(1125)年、新田氏の始祖、新田義重の父、源義国が創建した源氏ゆかりのお社です。かの源義経公は奥州へ下る際に当社が源氏ゆかりの神社であることを知り、冠の中に勧請してきた京都の伏見稲荷大社の御分霊を鎮祭しました。

また、時を経て元弘3(1333)年、新田義貞公は鎌倉幕府討伐の兵を挙げるにあたり、当社神前にて兜の中に神霊の来臨を請い、戦勝を祈願しました。

この度の県重要文化財のご指定は大変光栄なことです。職員一同、社殿を大切に保全し、ご崇敬者様がこれからも末永く、冠稲荷神様とのご縁を結んでいただけるよう、努めて参ります。

虎渓三笑(こけいさんしょう)。

こんにちは。

出仕の朽津由美子です。

新緑の美しい季節になりました。日中のお参りが気持ち良いですね♪連休中は是非、冠稲荷神社にもお越しください(^^)

さて、本日は本殿の彫刻についてのご案内です。

皆様が鈴を鳴らしてお参りくださる拝殿。その奥に当社の主祭神の宇迦之御魂大神(ウカノミタマノオオカミ)=通称:お稲荷様をお祀りする本殿がございます。※本殿は元禄3年(1690)に再建され、太田市の重要文化財に指定されています。

3年前に修復工事を行った屋根については当ブログでもご紹介いたしましたが…

今回は極彩色が美しい、彫刻にご注目いただきたく♪

3面に施された彫刻のうち、こちらは虎渓三笑(こけいさんしょう)を表したものです。

虎渓三笑とは…

中国の東晋の高僧の慧遠(えおん)は、廬山(ろざん)の寺にこもって俗界との境界である虎渓を越えないと誓っていました。ところがある日、詩人の陶淵明(とうえんめい)と道士の陸修静(りくしゅうせい)を見送るときに話に夢中になり、うっかり虎渓を越えてしまいました。虎の吠える声でその事に気づき、三人で大笑いしたという廬山記(ろざんき)の故事です。

※この故事から、虎渓三笑という言葉が「あることに夢中になって他のことを全て忘れてしまうこと」の例えになったそうです。

先日、どちらかの博物館で「集まるおじさん」と題した展示会で虎渓三笑についても紹介されていました。集まるおじさん…そう聞くと、本殿の彫刻も何となく微笑ましく、可愛らしく見えてきました(^^)※本殿となりの棚に案内資料をご用意しておりますので、どなた様もご自由にどうぞ。

お社にどのような彫刻が施されているのか、じっくりご覧いただきながらのご参拝も楽しいですね♪次回、ご来社の際には是非、本殿の彫刻にもご注目ください(^^)