カテゴリー別アーカイブ: 薀蓄。考察

本日も朝から寒かったですね。昨日は風も強かったですが、本日は落ち着いた日となりました。

こんにちは

巫女の岩瀬愛梨です。

本日は昨日に比べて風は吹いておりませんが、とても寒かったですね。

昨日は二月の神様御朱印のモチーフとなっている菅原道真公のお話でした。

本日も引き続き、御朱印に関連したお話です。

二月の限定であるきつねさんが豆まきをしている御朱印、そして、神様の御朱印にも梅の絵柄が用いられております。

菅原道真公は太宰府へ下る際

東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな

と梅の花の歌を詠んでいます。

梅の花も太宰府に下った道真公を追って太宰府まで飛んで行ったとされる「飛梅伝説」もあります。

道真公と梅には深い関係があったのですね。

さて、境内では以前もブログに載せたように、紅梅がすでに咲き始めております。

まだ満開とまでは行きませんが、可愛らしい花がぽつぽつと咲いております。

冠稲荷神社へ遊びにいらした際には、ぜひご覧になってください。

 

 

受験シーズンですね。受験生の皆さん、大変だと思います。寒い日もありますので、お身体に気を付けて頑張ってください。

こんにちは。

巫女の岩瀬愛梨です。

本日は風も強く、とても寒い日となりました。

今月の神様御朱印は菅原道真公です。

菅原道真公については知っている方も多いかと思いますので、省略致します。

菅原道真公は現在、学問の神様として祀られております。

また、菅原道真公の事を「天神様」ということもあります。

「天神」とは、国津神(地上に現れた神々の総称)に対する天津神のことで、特定の神の名前ではありませんでしたが、道真公の没後、「天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)として祀られ、道真公の祟りとされた落雷事件を機に道真の怨霊が北野の地に祀られていた火雷神(ほのいかづちのかみ)と結びつけて考えられました。

朝廷は、北野の地に北野天満宮を建立し、道真公の祟りを鎮めようとします。道真公が亡くなった太宰府には太宰府天満宮が建立され、「天神様」は怨霊としておそれられました。

平安時代末期からは道真公が怨霊としておそれられることは少なくなり、徐々に芸能の神や慈悲の神、学問の神として信仰されるようになったそうです。

なので、道真公=天神様とみなされるようになったそうです。

御朱印では、道真公が牛に乗っています。

道真公は丑年である、太宰府への左遷時に牛が泣いて見送った、牛に乗り太宰府へ下ったなど、道真公と牛にまつわる伝承などが数多く存在します。

これにより、牛は天満宮に於いて、神の使いとされているそうです。

こちらの二月の神様御朱印は二月末まで頒布しております。

本日はとても暖かい一日となりました。大安ということで、出張神事にご祈祷と慌ただしい一日でした。祈祷受付の際によく見る厄年表・・・、疑問に思ったことがあったので、調べてみました!

こんにちは。

巫女の岩瀬愛梨です。

昨日雪が積もっていたとは思えないくらいの暖かさですね。

本日は大安ということで、厄除けやお車のお祓いなどで多くのお客様にお参り頂きました。

さて、ご祈祷の受付をする度に必ず厄年表を見ます。

この厄年表をみて、ある疑問が頭の中に浮かび上がってきました。

「恵方ってどうやって決まっているのだろう?」

というわけで、今回は恵方について調べてみました。

今年の恵方は西南西です。

忌むべき方角が決まっている方位除とは違い、恵方は毎年違っています。

方位吉凶早見を見ると、恵方と書いてある矢印の元に歳徳神という言葉が書かれております。

歳徳神(としとくじん)とは、陰陽道で、その年の福徳を司る神様です。

歳徳神がいる方位を恵方(えほう)などと言いその方角に向かって事を行えば万事に吉とされています。

そして、歳徳神の在する方位(恵方)はその年の十干により決定されます。また、西暦の一の位によっても決まっております。

十干が甲・己、一の位が4・9ならば東北東、十干が乙・庚、一の位が0・5ならば西南西、十干が丙・辛・戊・癸、一の位が1・6・3・9ならば南南東、十干が丁・壬、一の位が2・7ならば北北西です。

今年の十干は庚子で、2020年なので一の位が0ということで、今年の恵方は西南西です。

恵方は毎年違う方角だと思っていましたが、決まった方角を回っていたことに驚きました。

方位除にはまだまだ面白いことが隠されているの思うので、機会があったらまた調べてみたいと思います。

本日は日中でもとても寒かったですね。昨日の風の影響もあり、銀杏でできた黄色い絨毯が境内を彩っております。本日は今月の神様朱印のモチーフである神倭磐余毘古神についてご紹介致します。

こんにちは。

巫女の岩瀬愛梨です。

本日はとても寒い日ですね。

昨日は風も強く吹いたので、七福神殿と甲参道に綺麗な黄色い絨毯ができております。

今月の神様朱印について説明するのも今回が三回目、一回目は金鵄、二回目は八咫烏をご紹介させていただきました。

いよいよ、神倭磐余毘古神についてご紹介したいと思います。

神倭磐余毘古神は伝説上の日本の初代天皇・神武天皇です。天孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)のひ孫にあたります。

神倭磐余毘古神は庚午年1月1日に日向国で誕生し、兄である五瀬命(いつせのみこと)と共に政治を平穏に治められる場所を求め、大和国(奈良盆地)が美しい地と聞き、他の兄たちと共に東方へ進軍しました。

進軍し、戦闘をしていくうちに兄の五瀬命が亡くなり、他の兄たちも荒れた海を鎮めるために入水するなど困難な状況が続きました。

熊野に上陸したものの、山をいくつも超えたところで道がわからなくなりました。

すると天照大神が夢に現れ、八咫烏を遣わし、その案内で宇陀にまで行き着くことができ、進軍を続けました。

その後、金鵄の助けなどを得て大和国を平定し、辛酉年1月1日に初代天皇として即位しました。

この日は、現在の暦にすると2月11日となります。なので、2月11日が建国記念の日となります。

また、神武天皇が即位したとされる歳を元年とする日本独自の紀念法があり、神社の暦などに記されております。

こちらは今年(H31・R1)の数え年などが載った表です。元号の隣に皇紀が書かれていますね。

ちなみに今年は皇紀2679年です。

今回は神倭磐余毘古神についてご紹介致しました。

 

12月も10日になりましたね。あと20日ほどで年が明けるかと思うと月日が流れるのが早いと感じます。本日は今月の神様朱印「神倭磐余毘古神」について、もう一羽の鳥「八咫烏」についてご紹介致します。

こんにちは。

巫女の岩瀬愛梨です。

本日は曇りながら少し寒さが和らぎましたね。

今回も今月の神様御朱印についてお話したいと思います。

前回、12月4日のブログでは神倭磐余毘古神(カムヤマトイワレヒコノカミ)が持つ弓の上にいる金色の鳥(金鵄)についてお話ししました。

しかし、もう一羽黒い鳥が後方を飛んでいるのが見えます。

こちらの黒い鳥は「八咫烏(やたがらす)」です。

八咫烏は神倭磐余毘古神が奈良盆地とその周辺の討伐を進めていた際、高皇産霊尊(タカミムスビノミコト)(『古事記』)または、天照大御神(『日本書紀』)によって神倭磐余毘古神のもとへ遣わされました。

そして、熊野国から大和国までの道案内をしたとされます。

なので、八咫烏は導きの神、また太陽の化身ともみなされているそうです。

八咫烏の咫(あた)というのは古代の長さの単位で、手を開いた時の中指の先から親指の先までの長さ(約18センチメートル)だそうですが、八咫烏の八咫は単に「大きい」という意味だそうです。

八咫烏の特徴は三本ある足ですね。なぜ三本あるかは

・それぞれ天・地・人を表し、神と自然と人が同じ太陽から生まれた兄弟であることを示す。

・古来より太陽を表す数が三とされていたことに由来する

など諸説あるそうです。

そんな八咫烏が導いたとされる神倭磐余毘古神は聖天宮に祀られております。

聖天宮内部の神倭磐余毘古神の彫刻の足元にも可愛らしい八咫烏がおります。

神倭磐余毘古神についてはまた後日ご紹介致します。

 

今月の神様朱印は「神倭磐余毘古神」です。聖天宮にお祀りされている神様ですが、よく見ると金色の鳥が近くにいますね。この鳥は何なのかを調べてみました。

こんにちは。

巫女の岩瀬愛梨です。

本日も祈祷を受けられる方や御朱印をお求めの方がご来社くださいました。

さて、今月の神様御朱印は神倭磐余毘古神(カムヤマトイワレヒコノカミ)です。

日本で最初の天皇、神武天皇です。冠稲荷神社では、聖天宮にお祀りされております。

さて、御朱印の神倭磐余毘古神の姿を見ると、長い弓に鳥を乗せています。

※一番左側が神倭磐余毘古神です。

この鳥は金鵄(きんし)といいます。

『日本書紀』では奈良盆地とその周辺の討伐を進めていた神倭磐余毘古神が、大和の指導者と戦っている際に、金色の霊鵄が天皇の弓に止まると、その体から発する光で大和の指導者の軍勢は目がくらみ、神倭磐余毘古神側が勝利することができたとされたいます。

そして、この霊鵄を「金鵄」と呼ぶようになったそうです。

神倭磐余毘古神についてはまた後日ご紹介できればと思います。

最後に冠稲荷神社では今年も年末年始に巫女のお手伝いをして下さる方を大募集中!!!

力仕事もあるので、男性の方でも構いません!

12月28日(トイレやゴミ捨ての場所など、色々説明します!)、三箇日はなるべく参加して欲しいです(-ω-)

お正月を迎えられるように色々な事を準備したり、御守の頒布やご祈祷の受付・案内、御焚上などなど・・・お願いしようと思っています!

詳細は直接お目にかかってご説明させて頂きたいので、“お手伝いしてみたい!”という方はぜひお電話(0276-32-2500)を!

第一声に迷ったら、「ブログで巫女さんのお手伝い募集してるって書いてあったので、お電話してみました!」で大丈夫です。

書類の準備などもあるので、行こうと思ってる何日か前に一回ご連絡してください。一緒に巫女さんの恰好をして、楽しいお正月にしましょう!

 

大鳥居の紅葉もだいぶ赤くなってきました。まだまだ下の方は緑色の部分もありますが、赤い大鳥居に赤い紅葉、そして山茶花のコラボはとても素敵です!本日は鏡の話後編です。

こんにちは。

巫女の岩瀬愛梨です。

本日は以前お話ししました、鏡の話後編です。

前回は天照大御神が天の岩戸にお隠れになってしまった際に、他の神々が鏡を用いて天照大御神を外に出したところまででした。

天照大御神と鏡の話は天孫降臨のお話にも出てきます。

天孫降臨とは、天孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天照大御神の神勅を受け葦原の中つ国を治めるために、高天原から筑紫の日向の襲(くまそ)の髙千穂峰(たかちほのみね)に天降ったお話です。

その際、天照大御神は瓊瓊杵尊に、天の岩戸から天照大御神を出す際に用いられた勾玉と鏡、そして草薙の剣を授け、「この鏡を私の御霊と考え、私自身を祀るように仕えなさい」と言いました。

こうして、瓊瓊杵尊と共に三種の神器が天降り、鏡が天照大御神の象徴として祀られたのです。

以上が神話にて出てくる鏡についてのお話です。

鏡は太陽を指していること、鏡と天照大御神関係、鏡が神社でご神体とされている理由がわかりました(#^.^#)

さて、神社にはご神体の他にも鏡があります。

この写真をご覧ください。正面のお社と両隣の緑色の旗、その右側の旗に丸いものが見えます。

拡大してみます。丸いものが鏡です。その後ろにネックレスのようなものがかかっています。

ちなみに左側には棒のようなものがありますね。

ネックレスのようなものは玉、左側の棒は剣です。

これらの旗や玉・鏡・剣と一番上に立てられている真榊は神道の理念を象徴するものとされているそうです。

鏡の話は以上です。皆さまも神社にお参りする機会がございましたら、ぜひ鏡を探してみてください\(^o^)/

 

神社にはご神体として「鏡」が置いてあります。今月の神様朱印も冠稲荷神社の拝殿にある鏡が基になっております。なぜ、鏡がご神体なのでしょうか。調べてみました。

こんにちは。

巫女の岩瀬愛梨です。

本日も日差しは強くとても暖かいですが、風が空気が冷たいですね。

さて、本日は今月の神様朱印のモチーフにもなっている「鏡」についてお話ししたいと思います。

皆さまもほぼ毎日鏡を見ているのではないでしょうか。

また、神棚があるお宅でもこのような鏡が置いてあるのをみたことがあるかと思います。(下の写真は都合上、裏返しにしてあります。)

冠稲荷神社の拝殿にも鏡が置いてあり、今月の神様朱印にも描かれています。

神社における鏡は一般的に太陽を指しているといわれております。

理由は鏡で太陽の光を反射するのを正面からみると鏡が太陽のように光り輝いて見えるからです。

日本では太陽神である「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」を最上の神様としてお祀りするので、太陽を象徴する鏡をご神体として神社に祀ります。

また、鏡に映った自分自身の姿から自分の行動を自覚するという意味もあります。

天照大御神様の神話でも鏡が出てきます。

天照大御神が天の岩戸へお隠れになった際、他の神々が協力して、天照大御神を外に出そうとします。

そこで天の岩戸の前でお祭り騒ぎをして天照大御神の気を引き、扉を少しあけた天照大御神に「貴方様よりももっと貴い神様が現れたのでお祝いをしているのです」と言い、鏡を天照大御神に見せます。

鏡に映った自分の姿を見て天照大御神は岩戸の外にもう一人太陽神がいるのかと思い、もっとよく見ようと身を乗り出すと力の強い神様が天照大御神を引っ張り出し、別の神様が岩戸をしっかり閉め、天照大御神を外に出すことに成功します。

この時の鏡が三種の神器でもある八咫鏡です。

長くなったので、ここまでを前編とします。

後編はまた後日お話ししたいと思います。

本日は風がとても強かったです。いよいよ冬が来る!という感じがします。本日は、地鎮祭の作法の昔と今についてお話ししたいと思います。

こんにちは。

巫女の岩瀬愛梨です。

本日は風が強かったですね。

風が強くなると、いよいよ冬だな~という感じがします(笑)

境内では、ピンク色の山茶花が多く咲いておりますが、白い山茶花も咲き始めました。

白い山茶花は聖天宮の前の階段脇に咲いております。蕾も多くありましたので、これから徐々に大輪の花を咲かせてくれると思います。

さて、本日は地鎮祭で行われる「地鎮の儀(とこしずめのぎ)」の昔と今の儀式の違いについてお話ししたいと思います。

まず、地鎮の儀とは家づくりに関わる人が工事を儀式化した作法で行うことにより安全を祈願するものです。

現代の地鎮祭では現場がすでに整地されていることが多いですが、昔は荒れた土地の草刈りをして平地にするために切り崩して均す作業がありました。

これらを簡略化したのが地鎮の儀です。

まず、祭壇近くに盛られた小さな砂山にその土地に生えている草を立てます。

鎌入れ、鍬入れ、鋤入れを行います。

基本的には鎌入れをお施主様に、鍬入れ、鋤入れを施工会社の方に行っていただくことが多いですが、鎌入れと鍬入れのみや、鎌入れと鍬入れをお施主様にやっていただくなど変わることもあります。

それぞれ、道具を受け取ったら神前に出て一礼をして頂き、「えいえいえい!」と掛け声をかけ、鎌入れでは草を刈り、鍬入れでは砂山を崩し、鋤入れでは平らに均します。終わったらまた神前で一礼して頂いて終わります。

昔の地鎮の儀は少し違います。

まず草刈初(くさかりぞめ)の儀を行います。

行うのは童女一名です。祭員などの介助者を伴い神前に進み、介助者から忌鎌を受け取り、草刈りの所作を三回行います。

次に行うのは穿初の儀です。同じく童女一名が介助者を伴って神前に進み、介助者から忌鍬を受け取り、穿初の所作を三回行います。

昔はこの二つだけで、鋤入れの儀が行われず、また行うのも童女だったんですね。

このように昔と今を比べてみると同じ所や違う所が見えてとても面白いですね。

本日は地鎮祭の昔と今の作法の違いについてお話しいたしました。

最近境内では七五三を迎えられたお子様の晴れやかな着物姿を見かけることが多くなって参りました。お子様の健やかな成長をお祝いし、家族皆さまで良い思い出の残る楽しい記念日になるようお祈り申し上げます。

こんにちは。

巫女の岩瀬愛梨です。

朝のうちは雨が降っていましたが、早めに止んでよかったです。

最近は11月も近いということで、七五三のご祈祷も増えてまいりました。本日も3歳の女の子と7歳の女の子がご来社くださいました。

さて、本日は七五三や厄年のお話をする際に出てくる「数え年」についてお話したいと思います。

皆様はご自分の数え年をご存知でしょうか?

現在は生まれた時を0歳として、誕生日を迎えるごとに1歳、2歳・・・と年を重ねます。

この数え方を満年齢と言います。

しかし、厄年表を見てみると不思議に思うことがありませんか?

「あれ?自分は今年○○歳なのに、厄年表に書いてあるのは1歳上の年齢だなあ・・・」

例えば平成7年生まれの方は今年24歳になります。しかし、方位除けに当たっている項目を見ると、平成7年生まれの方は25歳と書かれています。

この厄年表に書かれている年齢、こちらが数え年の年齢です。

数え年の数え方はまず、生まれた時から1歳と考えます。そして、誕生日ではなく、お正月を迎えるごとに2歳、3歳と年を重ねるのです。

日本では戦後満年齢が普及しました。それまでは数え年で年齢を表していたのですね。

七五三のお祝いも数え年でのお祝いなのですが、最近では満年齢で考えることも多いです。

冠稲荷神社では1年を通して七五三のご祈祷を受け付けています。満年齢でのお祝いでも数え年でのお祝いでも、春でも秋でもお待ちしております。