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暦と厄除と金木犀♪

こんにちは。

出仕の朽津由美子です。

来年、令和7年厄除・方位除表が授与所に並びました♪

※暦は1冊300円、厄除・方位除表は無料です。

暦には大安・友引などの六曜をはじめ、立春・秋分・冬至などの二十四節気など、1年を節目正しく過ごす目安となる情報も記載されています(^^)

厄除・方位除表は境内にも大きな看板を立てて表示しています。

新年を迎える前に厄除・方位除にあたるかどうか、ぜひチェックしてみてくださいネ♪そして厄年の方は新年初祈祷にてお待ちしております(^^)

ちなみに令和7年の干支は乙巳(きのとみ)です。乙(きのと)は陰陽五行の木の陰、巳(み)は(へび)。

ということで、表題の画像は宇賀弁財天様を祀る厳島社を背景に撮影いたしました☆彡※宇賀弁財天様は人頭蛇身の宇賀神様を頭上に現されております。

ところで、授与所の中央にそびえ立つ金木犀ですが、今年はまだ本格的な開花が始まっておりません。。

数日前にわずか数輪の花が咲いたものの、現在はほとんどが蕾のまま。。

少し心配ですが、、なんと言っても、かの新田義貞公によるお手植えの金木犀です!今年も元気に沢山の花を咲かせてくれることでしょう♪

皆さまもどうぞお楽しみに(^^)

群馬県重要文化財へ♪

こんにちは。

出仕の朽津由美子です。

暑さ寒さも彼岸まで…のとおり、お彼岸を境にすっかりらしくなりました♪今年は夏が長く、暑さも厳しかったので、季節がきちんと巡ってホッといたしました(^^) 朝晩は急に冷えるようになりましたので、体調を崩さないよう気をつけましょうネ♪

さて、当社のことで大変恐縮ではございますが、この度、冠稲荷神社群馬県重要文化財に指定されました!既に新聞等でご存知の方もいらっしゃいますでしょうか…?

ご指定いただきましたのは本殿拝殿聖天宮の3棟です。

まずは本殿から…。主祭神としてお祀りしておりますのは、お稲荷様として広く知られる、ウカノミタマノ神です。

本殿の屋根は令和2年に改修工事が行われました。

本殿の3面には極彩色が美しい彫刻が施されております。写真は廬山記(ろざんき)の故事、虎渓三笑(こけいさんしょう)を表したものです。元禄文化の粋を集めた貴重な建造物でもあります。

続いて拝殿です。

拝殿内には県重要文化財指定の最上流算額(さいじょうりゅう さんがく)や江戸期最高峰の書家、親和(しんな)・ 思恭(しきょう)の懸額(けんがく)など、貴重な文化財が多数遺されています。

また、格天井(ごうてんじょう)に描かれた花鳥画・神獣画、源道純の龍の墨絵は迫力満点です!

そして、聖天宮(しょうてんぐう)。国生みの夫婦神、イザナギ神イザナミ神をお祀りし、小高い古墳の上に鎮座しております。

造建は宮中の菊紋を彫った天下一の名工弥勒寺音八(みろくじおとはち)とその父、音次郎(おとじろう)によるものです。

内部の格天井には優麗な12面の花鳥画が描かれ、中央には金龍の彫刻が、また正面欄間には三龍の彫刻が施されております。

当社は平安時代の天治2(1125)年、新田氏の始祖、新田義重の父、源義国が創建した源氏ゆかりのお社です。かの源義経公は奥州へ下る際に当社が源氏ゆかりの神社であることを知り、冠の中に勧請してきた京都の伏見稲荷大社の御分霊を鎮祭しました。

また、時を経て元弘3(1333)年、新田義貞公は鎌倉幕府討伐の兵を挙げるにあたり、当社神前にて兜の中に神霊の来臨を請い、戦勝を祈願しました。

この度の県重要文化財のご指定は大変光栄なことです。職員一同、社殿を大切に保全し、ご崇敬者様がこれからも末永く、冠稲荷神様とのご縁を結んでいただけるよう、努めて参ります。

源義経や新田義貞も参拝した神社です♪

こんにちは。

出仕の朽津由美子です。

強風で境内のモミジが大きく揺れています。昨日は雨天でしたので、じめじめした空気を爽やかにかえてくれる強風も、たまには気持ちが良いですね。

さて、改めまして当社は西暦1125年創建の源氏ゆかりのお社です。来年2025年(令和7年)には節目の900年を迎えることとなります(^^)

この長い歴史の中で、当社には日本史に登場する有名人も参拝しているのでご紹介いたします♪

まず、1人目は…鎌倉幕府誕生の立役者、戦の名人であり、悲劇の武将と呼ばれる、源義経(みなもとのよしつね)です。義経公は1174年、奥州へ下る際に当社が源氏ゆかりの神社であることを知り、冠の中に勧請してきた京都の伏見稲荷大社の御分霊を鎮祭しました。

その後、義経は挙兵した兄、頼朝のもとへ馳せ参じ、兄弟心を一つにして平家打倒を誓いあいました。様々な伝説の残る源義経。昨今ではその足跡をたどる義経ファンも沢山いらっしゃるようですネ♪

※源義経公が斎戒沐浴したとされる御神水が手水舎にも流れております。

つづいて2人目は…新田義貞(にったよしさだ)。義貞は源氏の名門・清和源氏、源義国(みなもとのよしくに)の長男、義重(よししげ)の子孫です。

義貞公は元弘三年(1333)鎌倉幕府討伐の兵を挙げるにあたり、当社神前にて兜の中に神霊の来臨を請い、戦勝を祈願。そして、たった15日で難攻不落と言われた鎌倉幕府を滅亡させたそうです。

日本一の至誠の武将と呼ばれる新田義貞。「太平記」には苦しむ民衆を見て立ち上がり腐敗した幕府を打倒したこと、その戦い方は道義を重んじ忠節を尽くしたこと、戦闘では真っ先にたち部下を大切にしたこと、などが記されているそうです。

※授与所の中心にそびえ立つ金木犀は新田義貞公お手植えと伝えられております。

当社の近くを流れる利根川にかかる刀水橋の名前は、義貞公が鎌倉を攻略して凱旋した際、利根川で刀を洗ったという故事に由来する、とも言われております。

冠稲荷神社の「冠」って?

こんにちは。

出仕の朽津由美子です。

新田義貞公のお手植えと伝わる金木犀が見頃を迎えております。境内いっぱいに良い香りが漂い、癒されます。天然アロマ効果..♪

本日のブログは金木犀と秋の空をご覧いただきながらお読みください(^^)

さて、昨日は将棋の藤井聡太さん八冠達成のニュースで盛り上がりましたね!将棋のことはよく分からないのですが、毎回、藤井さんの勝負メシには注目しております…(笑)

第4局では寿司盛り合わせでしたネ♪お寿司の数が七貫だったことに料理人さんの両棋士へのお気遣いが感じられて、感動いたしました(^^)

ところで、同じ「」つながりの当社が冠稲荷神社と呼ばれるようになった経緯をご存知でしょうか…?

承安四年(1174)源義経公は奥州下向の折、当社が源氏ゆかりの社であることを知り、の中に勧請(かんじょう)してきた京都伏見稲荷大社の御分霊を鎮祭しました。

また時を経て、新田義貞公は元弘三年(1333)鎌倉幕府討伐の兵を挙げるにあたり、当社神前にての中に神霊の来臨を請い戦勝を祈願されたと伝えられています。

これらの故事にちなみ、いつしか稲荷神社と人々から呼ばれるようになったそうです。ふむふむ。。(^^)

 

今朝は11月の「縁守(えにしまもり)」に込める金木犀の花を採取♪そして、大安吉日の本日は初宮や安産祈祷のお客様がご来社くださいました^^

こんにちは。

巫女の朽津由美子です。

数日前に開花してからとても良い香りを漂わせている境内の金木犀。今朝は11月の縁守(えにしまもり)に込めるためのお花を採取いたしました。

遠目ではよく分かりませんが、近くで見ますと金木犀の一つ一つのお花はこんなにも可愛らしいんですね。

そして、この金木犀ですが樹齢はなんと685年!新田義貞公が鎌倉幕府討伐の挙兵にあたり、戦勝を祈願した際に植栽したと伝えられる吉祥の木。「どこにありますか?」とお客様からたずねられることがあるのですが、現在は御守の授与所に囲まれております。

根本からの全体像をお見せしたかったのですが、あまりにも大きすぎてカメラに収めきれませんでした。。

ここ最近の雨で早くも散り始めておりますが、金木犀は2度、花を咲かせることがあるそうですので、その「おまけ咲き」も期待したいと思います^^

 

ところで、大安吉日の本日は雨天の中、初宮や安産祈祷のお客様がご来社くださいました。

こちらは初宮参りにいらしたご家族の皆さまです。

ご祈祷後はパパやママ、ご両家のご家族の皆さまが交替で写真撮影♪

天使のようにスヤスヤと眠る赤ちゃんを囲んで、とてもお幸せそうな笑顔の皆さまでした^^

本日はようこそお参りくださいました。お子様の健やかなご成長をお祈り申し上げます。

※ご家族の皆さまには写真掲載の許可をいただいております。