祭典に随行してまいりました【牛沢町の雷電神社様編イコール朝子塚古墳の上。

権禰宜の雑賀直子です。

宮司の兼務する神社の春祭りの、トリは牛沢町に鎮座されます雷電神社の春祭りです。

DSC_0228朝子塚古墳の上なので、えっちらおっちら上らなくてはいけません。ちょうど、後円の真ん中の真上を目指します。

 

……………到着!

DSC_0230お山の上なので、社殿以外は基本的には何もないところなんですが、祭典の為に机なんかは牛澤神社から運んでくださっています。

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覆い屋根の扉は普段は閉まっていますが、春と秋のお祭りには開いて、掃除して、幣束やら紙垂やらを新しくして、太鼓も神饌も持ち込んで、祭典を執り行います。

そうして、祭典を執り納めましたら、神札と配り物(授与品)を分けて………

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次回扉を開けるのは秋祭り、という事になりますね。

 

実はこの雷電神社、「社殿は麓から持ってきたんだ」という歴史をご存知の方はまだ多くご存命です。

「朝子塚古墳て呼ばなかったよな、『雷電山』『雷電山』って呼んでさ」

柳原(牛沢町内の地区名)が祀りをしてたけど、一地区での維持は大変なので牛沢町として行うようになった……らしいです。

でも、町内でも公式の記憶ではない様なので、もしかしたら個人々々によって少し話が変るかもしれません。

そうしているうちに、記録されない記憶は、歪むか、消えるか、する事もあるのでしょう。それも時代の流れとともに有る事なのだと思いますし、そうであるならば、記録されないという事もまた、歴史を紡ぐ上では必要なのだと思います。

 

年寄りの昔話を聞くのが大好きな身としては、寂しく心細い事ではありますが……まぁ、仕方ない…………。

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